涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

あなたたちは「頑張ってきた」だけ

努力のベクトルがずれているのであれば、それは正しい行いではない、というお話です。昨日の飲み事で「自分たちは頑張ってきた」と誇張する「頑張ってきた」だけの上司の話を聞いていて、呆れて言葉も出なかったので記事にしてみます。


「努力のベクトルがずれている」とは

まず、努力とはWikipedia大先生曰く、一言で言うとこういうことです。

努力とは、目標を掲げ、そこに到達するために邁進することである。

努力 - Wikipedia


そして、ベクトルとはこういうことです。

「空間における、大きさと向きを持った量」の意味から転じて一般的に、方向性、矛先などの意味でも使われる。

ベクトル - Wikipedia


つまり、「努力のベクトルがずれている」というのは、「掲げた目標に到達するための、力の大きさと向きがずれている」ということです。というか、目標が本当に明確であれば、ベクトルはずれません。曖昧な目標で流されるがままに仕事をしている人は、目標意識が薄いので、それは「努力」とも呼べません。



ベクトルの間違った努力を誉めるな

ベクトルの間違った努力を誉めること、推奨することは罪です。人の貴重な時間を無駄に奪うことになります。以下の記事が参考になります。
ベクトルの間違った努力を誉めない|小越ブログ

トンネルは、手で掘ってもダイナマイトで掘ってもトンネルだ。
使えるならダイナマイトを使った方が良いに決まってる。


手で掘ってるやつは確かに応援したくなる。
「頑張れ、手で掘るお前の根性好きだぜ!」
それで、そいつが手で掘ることに大きなモチベーションを感じたらどうだろう?


或いは、周りの人間が「手で掘るのが良いらしい」と
ダイナマイトを捨ててしまったら?


間違った努力を推奨することで、あなたはその人の価値観に
悪影響を与えてしまっている。

「頑張ってきた」と誇張する人たち

「頑張る」というのは、以下のことを指すそうです。

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。
3 ある場所を占めて動かないでいる。

頑張る とは - コトバンク


こう見ると「努力のベクトルがずれている」人は、確かに「頑張ってきた」という言葉が相応しく思えてきます。


仕事の価値は、質と量で決まると思います。どれだけの質の仕事を、どれだけの量こなすか。つまり、ここが仕事をする上での目標になるわけです。今与えられた仕事だけを、その場で思い付いた通りに「捌いてきた」人たちは、その目標が見えていません。


自動化、標準化、学習等を、その目標に対して適切に行うことができれば、仕事の質と量は跳ね上がります。それは少なからず時間の投資を必要とするものですが、ベクトルがずれていなければ、大きなリターンがあるわけです。


しかし、今与えられた仕事だけを、その場で思い付いた通りに「捌いてきた」人たちは、この「時間の投資」をしない傾向にあります。そうせずに何十年と働いてきて、「昔は毎晩○時まで頑張っていて。。」とか「○十年築いてきた技術が。。」とか誇らしげに語る方々には、申し訳ないけど着いていきたくないし、話も聞きたくないです。


組織である以上、そういった習慣や、そういった習慣でちまちま身に付けた僅かなノウハウは、下の人間に受け継がれていくわけです。私は良い出会いを経験できたおかげで、その悪しき習慣から脱出することができましたが、他の若い人たちがかわいそうです。責任を感じてほしいです。


高級なスパゲティコードを量産して、それを「財産」と称して後輩に分け与えることを恥じてほしいです。私は、数年間信頼していた何十年培ってきたとやらの技術が、いざ井の中から出てみると、実際は学生レベル以下の使い物にならない技術で、最近0から勉強することになりました。実に無駄な数年間でした。


「何十年頑張ってきた」と誇張する方々には、大変申し上げにくいのですが、「勿体ない数十年間でしたね」と思わざるを得ません。正しい仕事をすれば、今深夜までやってる仕事は定時に片付くはずなのですから。まあ、当人が満足なら私は正直会社がどうなろうと、居続けるつもりがないので、どうでも良いのですが、それを人に押し付けるのは大罪です。


しかし、以下の記事を見ると、日本人の価値観というのは、そういうものなのかな、という気がしてきます。嘆かわしいことです。
ナナメシコウ : 下積みと奉公と根性の国、日本

日本人にとっての美徳には「下積み」「奉公」「根性」みたいなものが根強い。若い人は兎に角苦労するべきであり、それを経ずして成功などあってはならない。

目的とベクトルが合ってない苦労を積み重ねたって何にもならないでしょ。野球部入って球拾いしたらピッチャーになれるのか?万年球拾いやらせたら、球拾いのプロが出来上がるだけでしょう。


よくわからない謎の苦労を持ち出して、「苦労をしてないヤツはダメだ」と切り捨てる人。翻って、「あの人は苦労してるから報われて欲しい」という謎の応援をする人。


まだまだ日本はそういう価値観の中で物事が動いている。


その価値観から逃げ出せた私は、ラッキーなタイプなのかもしれません。
ではでは。