涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

自分の意見を通すためには、相手の逃げ道を残しておく

記事のきっかけ

先日、経済評論家の勝間和代氏と、2ch開設者の西村博之氏の対談を聴きました。もう随分と昔の対談ですが、以下の記事でテキスト化されております。
デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき を文字におこしてみる - さかなの目


私個人の感想としては、典型的な[感情的思考 vs 論理的思考]といった印象を受けました。別にお二方のことを悪く言うつもり等全くないし(というか私はひろゆき氏が好きだ)、これから書くことがお二方に該当するというわけではないのですが、この対談を見て、感情的思考と論理的思考について考えさせられました。この対談は、ただのきっかけということです。



論理的思考でいたいけど。。

感情的思考で話す人間と、論理的思考で話す人間のどちらを応援したくなるかと言われると、私は断然後者です。ロジカルに物事を考えられない方は、大概発言に一貫性がなく、議論にならないためです。これが職業柄なのかどうかは分かりませんが、人と話す上で自分が感情的になりそうな場面においても、必ず論理が破綻しないように気を使います。


まあ、私が論理的に物事を人に伝えられるほど頭が良いかどうか、という議論は置いておいて、論理的に物事を人に伝えるという行為は、感情論で話している方を怒らせてしまう可能性が高いです。相手に不快感を与えず論破できるなんて、素晴らしいことはないのですが、なかなかそうはいかないものです。


一度怒ってしまった人を論理的に納得させることは難しいです。怒っている人というのは、「自分の意見の正しさを相手に証明すること」が目的ではなくなるからです。「負けないこと」や「自分の意見を押し通すこと」や「相手を黙らせること」等が目的になってしまうのです。


こういう状態になってしまうと、もう誰も得をしないのです。どんなに自分が正しいことを言っていたとしても、怒ってしまった側は何かしらの粗探しをして「でも少なくとも、ここは間違っているよね」みたいな別の議論に持っていこうとします。夫婦喧嘩でよくありそうな光景です。


何度話をすり替えられても、その度論破するというのは、バーサーカー状態の相手には容易いことです。しかし、論破の目的は相手を完膚なきまでに叩きのめすことではなく、円滑に自分の意見を認めてもらうことです。譲れない自分の意見を相手に通そうと思うと、相手を怒らせてしまってはいけないということです。


では、どうすれば相手を怒らせずに、自分の意見を説明できるのでしょうか。



窮寇には迫ることなかれ

孫子の兵法に、"囲師には必ず闕き、窮寇には迫ることなかれ"というものがあります。敵兵を取り囲む時は、必ず逃げ道を作っておき、敵兵を窮地に追い込んではならないということです。窮地に追い込まれた敵兵を追えば、死にもの狂いの逆襲を受けてしまう可能性があるためです。語源は違いますが、"窮鼠猫を噛む"に似ていますね。


自分の意見を通すためには、相手の逃げ道を残しておくと良いです。つまり、相手が「折れてもいいかな」と思える場所を準備しておくということです。相手にとって逃げ道がなければ、自分にぶつかってくる以外に道がないわけですから、ぶつからないようにするためには当然の配慮となるわけです。


私がよく使うのは、「知らなくて当然」という雰囲気をさり気なく醸し出すことです。例えば、「IT業界では、よくある考え方なんだよ」と付け加えます。すると、「IT業界に勤めていないのだから、知らなくても仕方ないか」と考えやすくなります。


他には、「俺も、前に○○について勉強していて知ったんだけどね」と捕捉します。自分も勉強して、こういう意見に辿り着いたということを伝えれば、「あ、こいつも元々知らなかったんだ」と、知らないことを恥とする度合がぐっと減ります。「最近はこういうのが主流みたいだよ」と付け加えるのも効果的です。


自分の方が正しい、自分の意見を通したいという揺るぎない想いがあったとしても、相手を追い詰めるような話の進め方をしてはなりません。論破1つも思いやりです。
ではでは。