涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

東日本大震災を思い出す

「3.11(サンテンイチイチ)」という言葉を嫌う方も多いようですが、日付で呼んで毎年話題に上げるというのは、私のようなクズ野郎にとって効果的です。当時の自分のクズっぷりを思い出すことにより、反省の機会になるためです。


当時の私

私は地震とはあまり縁のない福岡県に住んでいます。しかし2011年3月11日は、出張でたまたま新潟県にいました。仕事を1つ終えてホテルの部屋に戻って間もなく地震を体験します。部屋が6階であったためか、ギリギリ立っていられるほど大きな揺れに感じました。


ホテルが崩壊するんじゃないかという不安の中も、心の奥底は意外とのんきなもので、「やっぱり東北の方は、こんな地震当たり前なんだろうか」なんて思っていました。まもなく、ホテルのアナウンスでエレベーターを使わずに階段でロビーまで避難するように指示を受けます。


手すりを使って何とかロビーに辿り着くと、受験シーズンのためか、そこは学生客ばかりです。この時はまだ、東北はこんな地震が日常茶飯事なのかなー、ぐらいに思っていました。本当に無知は罪だと思います。そんな中、ロビーの大きなテレビのニュース速報で、見たこともない広範囲の津波速報と被害状況が映し出されており、ここで初めて今回の地震の恐ろしさを知りました。


新潟県は、中越沖地震を経験して間もないためか、ホテル内や周りの施設の対応が凄くしっかりしているように感じられました。しかし、テレビを見ると悲惨な映像が次々に映し出されており、何度も「これは夢なのではないか」と疑いました。今思うと、そんなことをぼけーっと考えている暇があれば、周りの学生を勇気付けるなり、ホテルの従業員の手伝いをするなり、何かしら行動するべきでした。


本当に我ながらクズだなーと思うのですが、今まで地震や火山の噴火等の話を聞くと、何故かワクワクドキドキしてしまうような人間でした。平和だからこそ非日常に興味を惹かれるのかは分かりませんが、全く不謹慎な話です。そうして20年間生きてきた私も、当日の夜は怖くて眠れませんでした。


テレビを付けたままベッドに横になっていたのですが、数分毎に不愉快な音で地震速報の音が鳴り、大きな揺れに襲われました。あまりに揺れるので、船酔いに似た気持ち悪さを覚えました。しかし、また昼のような大規模な地震の速報を聞き逃すわけにはいかないので、テレビを消すことはできません。いつ昼以上の地震が来ても不思議ではなかったし、ニュースでも警戒を怠らないように呼びかけていたので、本当に怖かったのです。


震源地から遠いにしろ、被害は特に受けていないにしろ、実際に地震を経験することによって、初めて災害時にワクワクドキドキする自分がどれほど狂っているのかを思い知ったのです。そんな私は「被災者のために何かしないと」という漠然な焦りを覚えます。



何かしたいけど、何もできない

無事、福岡県へ帰ってくることができた私は、「何かしないと感」を覚え、何をすべきか必死になって考えました。そう、考えただけなのです。結局何もできませんでした。いえ、何もしませんでした。私ができたのはコンビニで募金をしてみる程度です。


震災から数日後、facebookで衝撃を受けます。高校の同級生が複数人で被災地へボランティア活動に行って、被災地の写真をアップロードし、呼びかけを行っていました。更なる衝撃は続きます。その投稿記事に関して、同級生が「俺も手伝いに行きたいよ」みたいなコメントしていたのですが、その返事は「じゃあ今来い!口ばっかりやん!」といったものでした。


自分に言われているように感じました。勝手に同級生同士のやり取りを見ただけなのですが、この出来事は一生忘れないと思います。「何かしたい、何かしたい」と悩んでいる間に、当時二十歳の同級生は、被災地に飛んでいったのです。私も、有休届を会社に叩き付けて、貯金を使って被災地に飛んでいくことはできたはずなのです。


そんな出来事がありながらも、結局私ができたことは何度か数百円の募金をし、SNSで有用な情報を拡散することぐらいです。本当にクズな私でした。



これから

上記の反省点を踏まえて、次何かあったら必ずすぐに行動しよう!なんて意気込むわけですが、ここが私がクズである所以です。結局「次の機会に」と先延ばしにしているだけなのです。何も成長していません。そこまで分かっていながら何もしない私は本当にクズなのです。


それでも反省しているには反省しているわけで、こういった記事を書いて考え直すだけでも、これからの行動が多少なりとも変わってくると思うのです。そういう意味で、この記事の冒頭で毎年この出来事を思い出すことは効果的だと述べたのです。


そんなクズ野郎な私ですが、せめて、せめて自分が一番パフォーマンスを発揮できる分野で、社会に貢献することで、微力ながら罪滅ぼし(という名の自分の気休めとも言える)をしていこうと思います。何もできない、何もしない私でも、社会の役には立てる、そう信じて頑張っていきます。


ではでは。