涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

人生を振り返る

「人生を振り返る」なんて、凄く大袈裟なタイトルですが、ちょっとだけ振り返ってみます。ちょうど、もうすぐ誕生日を迎えるわけだし。今の趣味は恐らく「プログラミング」だと思うのですが、今まで結構な数の趣味を持ってきているな、と感じた次第です。今回、本当になんでもない日記です。思い出しながら書き殴るだけです。


空手

まず、小学校1年で空手を始めます。空手は、高校1年まで続けました。ちょうど10年続けたことになります。今思えば、止めるべきではなかったと感じています。格闘技が大好きで、特にK-1に関しては、選手マニアみたいなガキでした。球技はドッジボールしか知らずに小学時代を終えます。野球、サッカー等の、普通の小学生がする競技は、ルールすらよく分かっていませんでした。


分かっていませんでした、というか、今も分かりません。野球のルールはタッチアップとやらを食らった時に諦めました。サッカーはオフサイドを食らった時に諦めました。未だに分かりません。体育の授業や昼休みのスポーツは、フリーダムなルールだったので、私の知識は、友達とパワプロウイイレをした時に覚えたものばかりです。


音楽

中学校に入り、空手の試合後の打ち上げでの、ちょっとした出来事から、ドラムを習うことになります。ガッツリのめり込みました。The Yellow MonkeyBUMP OF CHICKENしか知らなかった僕は、この頃から洋楽に手を出し始めます。一番好きな曲は?と聞かれると、「TOTOのRosanna」と答えるような、訳の分からないガキでした。


中学2年になった頃、バンドを始めます。大学生の兄ちゃんたちのオリジナル曲から始め、その後はザ・ベンチャーズのコピーバンド等をやっていました。ロックンロールばかりやっていたためか、何故かレギュラーグリップの、訳の分からないガキでした。


高校に入り、同年代で楽器を始める友達が一気に増えました。始めていない友達にも、始めさせるという半ば無理矢理な勧誘で、バンドを掛け持ちしまくりました。この頃、空手を止めます。そして、何故かバスケ部に入部し、数週間で辞めるという暴挙に出ます。辞めた後は、バンドが楽しくて仕方がありませんでした。


活動拠点が博多だったり、大分の中津だったり、スタジオ代や機材代より、JRによる移動のせいで、貧乏なガキでした。機材はほとんどが貰い物でした。自分で買ったのは、ツインペダルぐらいのものです。


まもなく、高校のクラス内でバンドを組むことになるのですが、ドラムが2人でベースがいないという事態に直面し、勢いでベースを始めます。この頃から、ポップな曲ばかり聴くようになります。いわゆるロキノン系にはまります。コピバンも、そういうのばかりやっていたと思います。聴く洋楽は何故かパンクに変わります。


高校2年に何とか進級できたころ、エモ、スクリーモにガッツリはまります。今も恐らく一番好きなジャンルです。中津のライブハウスの店長さんのバンドがコピーしていた、The Usedが未だに一番好きなスクリーモバンドです。その頃、バンドの掛け持ち数が減ります。最終的に2つぐらいになっていました。


無事、就職先が決定しますが、2年ぐらいは1つのバンドだけに所属し、活動を続けていました。この2年ぐらいは、プログラミングが好きという訳ではなく、バンドのことばかり考えていました。しかし、そのバンドも解散することになり、私はフリーになります。地元のライブハウスの店長さんに、「間を空けずに新しいバンド組みね!」みたいなメールを貰った時、凄く嬉しかったのを覚えています。


しかし、それから先バンドを組むことはありませんでした。この頃丁度、プログラミングの楽しさを覚えたためです。


プログラミング

同期の開発者に勧められ、CODE COMPLETEを読んだのがキッカケで、私のプログラミングへの向き合い方が思い切り変わります。C言語の勉強を1から行い、とりあえずプログラムを美しく書くことだけに、こだわるようになりました。それから、プログラミングスキルは飛躍的に上がりました。そして、仕事が楽しくなります。毎日2時まで残業、休日は全て出勤、といった生活を自らするようになったほどです。狂っています。


WindowsのGUI系アプリケーション、Linuxの組み込みソフトウェア、TronAndroidと、やりたいプラットフォームは自分から上司へ相談し、回してもらうようにしました。コーディング、デバッグが楽しくて仕方なかったのです。今もそうですが。


そして、システムエンジニア的な仕事も兼任させてもらえるようになってきました。つまり、客先打ち合わせで要求をまとめ、システム設計をし、サブシステムのソフトウェア設計をし、コーディングし、テストし、システムを立ち上げにいくという、受注~稼働まで一貫して、自分で行わせてもらえるようになりました。このように幅広く仕事をさせてもらえたことは、本当に会社に感謝しています。


ビジネス

時を同じくして、スマートフォンが流行りだして少し経った頃、私もiPhoneを購入します。これを機にSNS等を利用して、外部のビジネスパーソンとコンタクトを取るようになります。そこで、私の人生観を変えるほどの出会いがあります。その方はMLMによるネットワークビジネスで、成功した方でした。MLMというのは、よく「マルチだ!」とか言われるやつですね。今回、その話はしませんが。


正直MLMにはあまり興味がなかったのですが、その方からは、自己啓発系のDVDや書籍を紹介してもらったり、経済学を教えてもらったり等、生きていくためのスキルを多く教えて頂きました。この頃、読書を覚えます。ちなみに1年半ほど前のお話です。


その方に教えて頂いたことで、私の人生観を大きく変えたのは、「今の職で、一生食べていける自信がないのであれば、自分自信が一生食っていけるだけのスキルを身に付けなければならない」ということです。その「一生食っていけるだけのスキル」の選択肢として、私の中でMLMは有り得なかったのですが、現代はサラリーマンに「安定」なんていうものは存在せず、個人のスキルが一生を左右するという思想は、身に付けることができました。


人の思想は変わる

上記の通り、趣味だったり、人生観だったり、そういったものは、何度も変えられてきました。今はITエンジニアとして一生食っていきたいと思っていますが、この先、また大きな出会いがあって「投資で食っていくわ!」とか言い出すかも分かりません。現に興味はありますし。


それにしても、こうやって見てみると、平凡に生きてきたつもりでいましたが、わりと不思議な人生を歩んでいるような気もします。それから、好きだったものが嫌いにはなっていないですね。未だに格闘技は大好きです。多分一日中サンドバッグと戯れていられます。バンドもコピバンなら、またやりたいですね。今では集中してプログラミングする時は、音楽を聴くことが必須になっています。ギターもベースも、わりと弾いています。


でも人生の中で、趣味は変わり続けるということですね。今まで揺るがなかったことは、「ゲームが大好き」ということぐらいです。
まとめると、「久しぶりにモンハンしたい」ということです。
ではでは。