涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

「無理はするな」は無責任

「無理はするな」、この言葉を軽々しく口にする人は、無責任だと思っています。今、私が現在進行形で体調を崩しているのですが、日付け超え残業の日々と、土日は通常出勤という、なかなかに過酷な状態です。


私としては、自分の将来のために、やりたいことが盛り沢山なので、1分1秒でも会社のために当てている時間を、自分のビジネスに当てたいと思う次第でございます。


すると、上司は「無理はするな」とかそういう言葉をかけてきます。厚意で言っているのは分かるのですが、冷静に考えると、凄く無責任で何も考えていないことが分かります。この言葉を発して良いのは、以下の要素の何れかを満たしているべきと考えています。

  • 無理をしなくて済む環境を提供できる人
  • 無理をせずに、今と同じ結果を出すための具体的な方法を提供できる人
  • 無理を止めた結果に起こる問題を、全て肩代わりできる人


「上司」というのは、上記の3点を満たすことのできるポジションであるはずなのに、これらを何もせずにして「無理をするな」という一言をかけるのは、何も考えずに直感的に言葉を発しているだけにしか見えません。すると言ってもらえても、幾度となく裏切られてきたので、信用もできないわけですが。


以下の記事も、そのようなことを書かれています。
「無理しないでね」: SPIRAL@WORLD別館

今がんばらないと致命的なカタストロフィーが訪れるというシチュエーションで、やらなければならないことが大変で苦しんでいる人は、置かれている状況が全く違うのだ。要するに、その違いを把握する程度に踏み込むことすらしない無責任な立場で、苦しんでいる人に対して優しげな言葉をかけるという行為こそが、残酷なのである。


私の被害妄想なのかもしれませんが、軽々しく「無理をするな」と口にする人は、以下の要素の何れかを含んでいると思うのです。

  • 何故、無理をしなければならないのかを考えるほどには踏み込みたくはない
  • 無理をしなかった結果、その人がどうなってしまうのかに興味がない
  • 特に何も考えていない (応援の言葉はかけてあげたい)


精神を病んでいる人に「頑張って」はタブーと言いますが、「無理しないでね」も結構残酷なワードですよ。まあ、私は特に病んでなどいませんが。
ではでは。