幸せに生きる
「人生楽しそうだね」と、言われました。どういう意味かは分かりませんが、確かに楽しいです。人生楽しみまくっています。でも、なんで俺は人生が楽しいんだろう、言い換えれば、なんで俺はこんなに幸せなんだろう、と少し考えてみることにしました。
人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている
何のために生きているのかって、幸せになるために生きているわけじゃないですか。だから幸せに生きていきたいじゃないですか。幸せっていうのは、都合の良いことに、自分の感じ方次第で、どうにでもなります。
七つの習慣に、こう書いてありました。
人間は刺激と反応の間に選択の自由を持っている
この言葉を、できるだけ念頭に置くようにしています。刺激(出来事)と反応(幸せ・不幸・喜び・怒り等)の間に選択の自由があるって素敵なことです。例えば、難しい課題を与えられたときに、「やりがいがあるぜ!」と思うのか、「面倒くさいなー」と思うのかは、自由なわけです。
フランクリン・ルーズベルトのファーストレディ、Anna Eleanor Rooseveltは、こう言いました。
あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。
「助走つけて殴るレベル」で有名なガンジーは、こう言いました。
自分で投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない。
刺激と反応の間の選択を、いつもポジティブな状態に保つことができれば、幸せに生きていけるのではないかと思うのです。
積極的に人とコンタクトを取る
人と接している時間は幸せです。特に仲良くなりたい人、仲が良い人ですね。私は決して友達が多くないし、仕事と彼女以外で、人に接する機会なんて、滅多にないのですが、これから増やしていきたいと思っています。
人とコンタクトを取るために有効だと思うのは、社交辞令を社交辞令で終わらせないということです。例えば、上司や同僚に「今度飲みに行こうな」と言われた時。ここで、「はい!是非お願いします!」で終わらせるのではなく、「○日なんて、いかがですか?」という提案をします。
今日、たまたま友人とそういったやり取りがあったので、少し思い出しました。「社交辞令を辞める」というのは、以下の本に影響を受けたお話です。
近いうちに食事にでも行きましょう、○○にいつか行きましょうと言われた時に、「今日はどうですか?」と言えと書いてあります。逆に、自分から「今度飲みにでも行こうー」と言った場合は、必ず計画するようにしたいです。
幸せな人は言行一致であると思うのですよね。言っていることと、行動が一致しているということです。社交辞令の文句は、言行一致ではありませんよね。
楽しいと思える時間を増やす
当然のことなのですが、これがやっぱり一番だと思います。いつも楽しいことをしていたいじゃないですか。つまり、充実している時間が多いほど幸せだと思うのです。つまり、リア充でいるべきということですね。
私は他人から見ると、決してリア充ではありません。仕事に費やす時間が、人より多いためです。定時上がりの人が、08:30~5:30まで9時間会社にいるのに対して、今の私は、08:30~00:30の16時間ぐらい会社にいます。さらに休日出勤も月に多くあります。
しかし、私は仕事が楽しいのです。エンジニアとしての仕事が楽しいのです。たまに、やりたくない仕事もありますが、基本的には充実しています。じゃあリア充なんじゃないのと。彼女はいますが、友達はあまりいません。ハロウィンは何もしていません。しかし、充実しています。
睡眠時間や食生活が健康に及ぼす影響などについては、知りませんが。。
「そんな労働時間、よく耐えられるね」と言われますが、私は「やりたくない仕事をよく1日8時間もできるね」と思います。人生の3分の1損しているわけですからね。すごく勿体なくないですか。
まとめ(まとまらない)
そんな感じで、一応これでも幸せになるために、そこそこ思考しているわけです。ちびまる子ちゃんの山田くんのように、何も考えていないのに幸せ、という訳ではありません。偏見かもしれませんが。
でも、やっぱり「楽しい仕事をする」ってことかなー。今読んでいる本で、MicrosoftのテクニカルフェローMark Russinovichがこう言っています。
本当に素晴らしいことですね。私のキャリア人生は趣味と思える楽しいことばかりなのですから。コンピュータは私にとってはいつでも趣味なのです。職場に行って趣味にふけって、さらに給料までもらえるなんて、最高という以外に表現のしようがありません。
ちなみに、その本が私の人生のバイブルになりそうです。読み終わったら、読書感想文書きます。
いやー、人生楽しいですね。
ではでは。