涼の成長記録

自らの人生に主導権を持つべく、独立を目指して2014年3月31日を持ってITエンジニアを退職。そんな23歳♂の成長記録。

何でも電子化すれば良いってもんじゃないとは思わない

何でも電子化すれば良いじゃない

叩かれる前から言い訳しておくと、私はとても無知な人間なので、凄く的外れな考えを持っているのかもしれません。しかし、思ったことはアウトプットしておきたいので、書いちゃいます。「何でも電子化すれば良いってもんじゃない」とは、どうしても思えないというお話でございます。


極端な話、何でも電子化しちゃえば良いじゃない、と思っています。例えば文書。仕様書だったり、書籍だったり、さらにはお薬手帳まで電子化だそうです。年賀状もメールでいいじゃんって思いました。だって単純な話、楽じゃないですか。コスト面と安全面(セキュリティ含)に問題がないのであれば、それこそ「何でも電子化」しちゃえば良いと考えています。


個人的に考えている電子化のメリットとして、まず劣化しません。バックアップできます。当然この時劣化しません。そして、かさばりません。それから、修正が容易です。逆に修正できてはならないものへの対策も可能です。さらに複数のデバイス、人から1つの資源に対してアクセスできます。拡大縮小は自由です。検索もできます。言い出せばキリがありません。



ノートなんて絶対電子化した方が良い

会議の議事録を紙のノートに書く理由なんて本当に分かりません。ノートPCで書かない理由があれば教えて頂きたいほどです。書くスピードも数倍だし、Evernote等、フリーで十分協力なクラウドサービスがあります。ノートPCでメモした内容を、デスクのPCやスマートフォンから確認できます。


ノートほど不便なデバイスはありません。かさばるし、劣化するし、筆記具がなければ記録できないし、書く人の能力によって可読性(字の上手さ的な意味で)に差が出るし、常日頃から持ち歩くこともありません。大事な会議の内容を、皆で紙にメモして誰にでも見られるようにデスクに放置して帰るなんて、正直理解できません。秘密書類を共有フォルダに入れている人ぐらい理解できません。(我が社にはそういう人が大勢いる)


デジタルの世界には、「必要なものは必要な時に取り出せる」という美しさがあります。スティーブ・ジョブズiPhoneのプレゼンテーションは感動しました。すっごく適当に説明すると

何でアプリによっては使わないかもしれないボタンがハードウェア的に必要なの?
必要なボタンは必要なアプリケーションソフトウェアが自分で提供すれば良いじゃん。

ってことです。物理的なものは、できるだけ減らした方が美しいです。何故なら、必要ない時にそこにあると、邪魔だからです。そして、物理的なものは劣化するからです。



徐々にシフトしていこう

よく聞く電子化反対派の方々の意見として、

お薬手帳なんて電子化したら、電化製品に疎い高齢者等が利用できないじゃないか!

というものがありますが、そんなもの徐々にシフトしていけば良いじゃないですか。少なくとも今の私たちのように、学生時代からゲームなんかが身近にあって、スマホを手にしている世代は、60を超えても電化製品に疎くはならないでしょう。その時代の最新に着いていけないということは、当然あるでしょうが。


「今」使えない人がいるから駄目っていう弾き方はあまりに乱暴です。一気にシフトして「はい、従来までのやり方は今日から使えません!」っていうのは、もっと乱暴ですが。世の中が便利になっていくためには、徐々にシフトしていくタイミングを作らないと、変化できないわけです。


そもそも、世の中が便利になっていくのは、むしろ高齢者にとってプラスの効果をもたらすはずなのです。「使い方が分からない」という問題をクリアすればの話ですが。少なくとも、将来の高齢者には、優しい生活を提供することができると思っています。



電子化によって感性が失われると提唱する人たち

何でもデジタル化することによって、人間の感性が失われる、成長が止まると考えている方がいます。考えなんて人それぞれですが、私はそんなことにならないと思っています。物が便利になるということは、それらに費やしていた時間を、別のもっとクリエイティブな作業に費やせるわけです。


確かに、世の中が便利になっていくにつれ、堕落しきってしまう人も少なからずいるでしょう。しかし、多くの方は自分を伸ばすことができると思っています。そもそも、特に日本人は「忙しい」人が多いので、余暇が増えるだけでも十分でしょう。ありとあらゆる「便利」というのは、基本的時間を短縮することなのです。


それから、芸術関係。例えば絵ですね。確かにデジタル化した鳥山明先生の絵は、正直個人的に好みではありません。絵のことは分かりませんが、有名な画家が描いた数々の素晴らしい絵は、今現在デジタルでは表現できない素晴らしさを持っているのだと思います。


しかし、デジタルが追い付くと思います。確かに実物の絵は、無限ピクセルかもしれませんが、デジタルの解像度だって肉眼では分からないほどになるでしょうし(もうなってる?)、優れたツールを優れた人が使えば、実物に負けないほどの表現力を発揮することができると思います。少なくとも、これからなるでしょう。


音楽も同様です。ドラムで言えばアクセント、ショットする位置、ストロークの鋭さ等 × 無限の機材 × 無限のチューニングがあり、とても生ドラムの表現力に電子ドラムが勝てるとは思えません。しかし、限りなく近付くことはできるようになっていくでしょう。ボーカロイドの技術も、まだまだ伸びるでしょう。そのうちトップシンガーとバトルなんて始めるかもしれません。「どっちがボーカロイド?」なんて企画もできるかもしれません。


私は星を見るのが好きです。美しい景色には感動を覚えます。バンドに打ち込んでいたこともあるので、音楽や楽器が大好きです。しかし、デジタルの力はこれらに追い付くでしょう。悲しいことでもありながら、嬉しいことでもあります。


しかし、だからと言って感性は失われないでしょう。アナログだろうとデジタルであろうと、美しいものは美しい。そして、私たちの体は決してデジタル化できません(多分)。どんなに美しいデジタルの森や海を3Dで見ようとも、さざ波の音を聴こうとも、その匂いまでは感じることができません(これも多分)。味覚も触覚もデジタルの波にはさらわれません。少なくともしばらくは。


人から愛されれば嬉しいし、やっぱり生身の人間を好きになる(本当に二次元しか愛せない人もいるかもしれないけど)。私は経験したことありませんが、我が子が産まれた感動は、決して他では再現できません。感性をくすぐる事柄が減ることはあるかもしれませんが、恋人、友人、家族と一喜一憂する喜びや悲しみ、怒りは、どれほど精密なロボットや人工知能相手でも、再現できません。


江戸時代の人には会ったことがありませんが、江戸時代の人間より、現代の人間の方が感性が衰えているのでしょうか?情報量は格段に増えて、記憶、思い出の質は格段に上がっているはずなのに、感性が衰えるものでしょうか?もう何が言いたいのか分からなくなってきましたが。



まあ、何が言いたいかっていうと、「何でも」電子化というと語弊があるかもしれませんが、世の中の殆どのものは電子化により、便利になっていくと思うのです。これからの未来が楽しみでなりません。あんまり毛嫌いせずに、良いものは利用していきましょう。


ではでは。